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ホンダのF1、挑戦と成功、そして繰り返される撤退の歴史
ホンダがF1世界選手権に参戦するたび、多くのファンがその活躍に胸を躍らせ、そして撤退の報に落胆してきました。挑戦と成功、そして撤退というサイクルを繰り返してきたホンダのF1の歴史を振り返ります。
第1期:すべてを自社で。初の栄光を手にしたフルワークス参戦 (1964年-1968年)
ホンダが初めてF1の舞台に登場したのは1964年。創業者の本田宗一郎氏の「F1で勝つことで、ホンダの技術力を世界に証明する」という強い意志のもと、エンジンから車体まですべてを自社で開発する「フルワークス体制」で参戦しました。
参戦2年目の1965年には、メキシコGPで初優勝を達成。日本メーカーとして初の快挙でした。しかし、わずか数年で当時の社会問題であった大気汚染への対応のため、市販車用エンジンの開発に経営資源を集中させるべく、F1から撤退しました。
第2期:圧倒的な強さでF1を支配した黄金時代 (1983年-1992年)
ホンダが再びF1に戻ってきたのは1983年。この時期はエンジンサプライヤーとして他チームにエンジンを供給する形での参戦となりました。
ウィリアムズやマクラーレンといったトップチームとのパートナーシップは、F1の歴史に燦然と輝く黄金時代を築き上げました。特に、アイルトン・セナとアラン・プロストという伝説的なドライバーを擁したマクラーレンとのタッグは圧倒的で、1988年には年間16戦中15勝という驚異的な記録を達成しました。この時期に獲得したタイトルは、コンストラクターズ、ドライバーズともに6回。ホンダの技術力がF1の頂点に君臨した時代でした。
第3期:ワークスとしての復帰、そしてリーマン・ショックの波 (2000年-2008年)
ホンダは2000年に再びエンジンサプライヤーとしてF1に復帰。その後、パートナーシップを組んでいたBARチームを買収し、再びフルワークス体制での参戦に挑みました。
2006年のハンガリーGPではジェンソン・バトンが優勝し、ワークス体制での勝利を手にしました。しかし、この時期はチームとしてなかなか成績が振るわず、さらには2008年のリーマン・ショックによる世界的な不況が追い打ちをかけ、F1活動の継続が困難に。ホンダは再びF1から撤退することになりました。
第4期:レッドブルとの栄光、そして未来への布石 (2015年-2021年)
2015年、ホンダはF1に導入されたハイブリッド・パワーユニットのサプライヤーとして再々参戦。初期は成績が伸び悩みましたが、2019年からレッドブル・レーシングとパートナーシップを締結したことで状況は一変しました。
ホンダのパワーユニットは熟成を重ね、レッドブルの車体と見事に融合。2021年にはマックス・フェルスタッペンがドライバーズチャンピオンを獲得し、ホンダのパワーユニット搭載車として30年ぶりにF1の頂点に返り咲きました。
この成功の最中、ホンダはカーボンニュートラル技術への経営資源集中を理由に、2021年シーズンをもってF1活動を終了することを発表しました。しかし、レッドブルへのパワーユニット供給は継続され、2022年、2023年とタイトル獲得に貢献しています。
そして、2026年からはアストンマーティンと組んでF1への再参戦が決定しています。新たなレギュレーションが導入され、電動化の比重が高まるF1で、ホンダがどのような挑戦を見せてくれるのか、今から期待が高まります。
一言でまとめるホンダF1の魅力とは?
ホンダのF1は、挑戦と成功、そして撤退を繰り返す波乱万丈の歴史です。
創業者である本田宗一郎氏の「技術で世界一を目指す」という精神は、F1という究極の舞台で試され続け、数々の伝説を生み出してきました。勝利を求めて貪欲に技術を磨き、頂点に上り詰めるも、潔く撤退し、また戻ってくる。その姿は多くのF1ファンを惹きつけてやみません。
2026年、ホンダはF1の舞台で再び新たな歴史を刻み始めます。その挑戦を、これからも見守っていきましょう。



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